環境問題、今のドイツ社会の矛盾

 風力発電の拡大において再エネには賛成するが、自宅の近くに風車が計画されると反対に回ってしまう問題について書いたことがあります。

 総論では賛成するけど、自分の生活がその影響を受けるとなると反対に回るということです。ぼくは昨年2023年秋、「脱炭素化社会を体験したかったけどなあ」という記事を書きました。そこでぼくはドイツで生きている間に、二酸化炭素の排出が実質ゼロとなるカーボンニュートラルを実現してドイツが脱炭素化されることはないと、断念してしまいました。

 ドイツは2045年までに、脱炭素化することを目標にしています。

 ぼくがそう思った根拠の一つが、総論賛成でも自分が影響を受けると反対するというドイツ社会のメンタリティーです。ぼくは問題を一般化して見てしまうのは好きではありませんが、社会が変わることにドイツ社会は、不安を抱きやすくなっています。

ベルリン・ブランデンブルク門前に集まった農民の抗議デモ

 ドイツでは今、農民の抗議デモが続いています。今日2024年1月15日もベルリンでは警察の発表で、8500人が集まり、トラクターなど6000台が道路を封鎖しました。

 それは、政府が農業補助の一部をカットしたからでした。政府は、自動車税の免除を撤回するのは撤回しましたが、ディーゼル燃料に対する補助は段階的に撤廃する意向を変えていません。

 農民の抗議は直接には、補助削減に反対するものです。しかし実際の問題は、単に補助撤廃に抗議するのではなく、化石燃料に依存する農業を脱炭素化するプロセスにおいて、農民個々が受ける影響と負担に抗議するものだといわなければなりません。

 この問題は、農民ばかりではありません。運送業者や職人など中小企業も脱炭素化に向け、産業の大手企業よりもより大きな負担を強いられます。ドイツでは今、生活に近い分野にようやくメスが入れられようとしています。

 農民の抗議デモが運送業者や手工業者などによっても支援されているのは、そういう背景があるからです。

ブランデンブルク門に向け、たくさんのトラクターが道路をブロックしている

 これまでドイツは、気候変動問題に対して脱炭素化する施策を主に発電と産業に限定してきました。そのため、農民や職人などの中小企業業者を含め、一般市民の生活ではその影響と負担が実感できませんでした。

 しかしそれだけでは、脱炭素化を実現できません。農業のほか手工業者、一般市民の家庭など『民生』といわれる部門にも施策を講じ、メスを入れなければなりません。

 政府はメルケル政権下の16年間、一般市民の生活に実感できるような影響を与える施策を極力避けてきました。しかし社会生活に痛みを伴う政策を実施しなければ、脱炭素化は実現できません。

 政権交代して誕生した革新的な中道左派政権によってようやく、そこにメスを入れる政策がはじまったのです。

 それはまず、暖房設備においてガス暖房など化石燃料をベースとした暖房方法を新しく入れ替える時に、脱炭素化となるヒートポンプや地域暖房熱などに切り替えることを義務つけることからはじまりました。

 それに対して、一般市民は猛反発します。メディアにおいても、保守系メデイアなどがガス暖房をすぐに使えなくなり、切り替えないといけないとフェイクニュースを流しました。

 一般市民の生活にメスを入れるのは、慎重でなければなりません。政府が一般市民と事前にコンセンサスを求める手法を取り入れるなど、政府が市民と対話して納得してもらうことを考えなければならなかったのはいうまでもありません。

 市民生活にメスを入れることで、一般市民がどう反応するのか。政府はその点について、甘くみていたといわなければなりません。

 政府はコロナ禍で用意したが、使わなかった予算を気候変動政策に振り向けました。しかしそれは憲法裁判所によって違憲とされ、政府は大幅な緊縮財政を強いられることになりました。そのため、2024年の予算はまだ国会を通過していません。

 政府は気候変動政策を実現するために、十分な補助を給付できなくなっています。

 こうした政治のゴタゴタと脱炭素化に向けた一般市民の反発を、極右勢力がうまく利用しています。政府の政策に不満な一般市民の中に入り、抗議活動をより過激化させています。これも、ドイツの政治にとって大きな問題であり、心配の種です。

 一般市民が不満に思う気持ちはわかります。しかし極右的や極左的なグループに簡単に気持ちが向いてしまう今の社会にがっかりしてしまいます。ぼくたちが脱炭素化に向けて頭を切り替え、ぼくたち自身も変わらなければならないという自覚が、農民を含めた市民にあるかどうかも疑問です。

 ぼくたちといった時、その「ぼくたち」は今の大人の世代だけでいいのでしょうか。気候変動など現在人類が抱える問題は世代を超えた長期の問題です。そう思うと、「ぼくたち」にはまだ生まれていない後の世代も含まれていると考えなければなりません。

 気候変動の原因をつくってきたのは、今の世代であるぼくたちです。これからまだ生きていく後の世代のことを考えると、今の世代であるぼくたちだけが恵まれた生活環境の下で生きるのではなく、若い後の世代が今の世代と同じ環境で生きていけるように、今生きる世代ができることを考えなければなりません。

 そのためには、自分の生活に影響があっても痛みを背負って、健全な社会と環境を後の世代に引き渡すべきです。市民にそれができるのか。

 ぼくたちには今、そういう問題が突きつけられているのです。このプロセスは脱炭素化に向け、どうしても乗り越えなければならない問題です。それができないと、世代間の公平さが保たれません。いつまで経っても化石燃料に依存するだけで、脱炭素化は実現できません。気候変動で、暮らしていけない土地が増えだけになります。

 ぼくはドイツでも、いずれこの問題にぶち当たる時がくると思っていました。とはいえ、ドイツは環境国といわれ、環境教育も優れているといわれてきました。その点で、ドイツはこの問題をどう乗り越えるのか、うまく乗り切れるのではないかと、とても関心を持っていました。

 しかし今のドイツ社会の現実を見ると、これまでのドイツの取り組みが何も実を結ばなかったのではないかと思えてなりません。とても情けなく感じます。環境国や環境教育国といわてきたドイツ。そのドイツでさえ、環境問題と世代間の問題において表面的にしか考えていないのです。

 しかし、気候変動は待ってくれません。この現実を見ると、ドイツもお前もかと悲しい気持ちになります。

2024年1月16日、まさお

関連記事:
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関連サイト:
ドイツ農民連盟の公式サイト(ドイツ語)

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