使い捨ての労働者

 ドイツの総合製造メーカであるジーメンス社は2018年夏、大幅なリストラを発表した。それによると、同社の部門をエネルギー、インテリジェント•インフラ、デジタル産業の3つの部門に分割し、独ジーメンス本社をホールディング会社化するという。

 再生可能エネルギーへの転換を推進するドイツでは、従来の発電設備は将来必要なくなる。そのため、従来の発電設備を主体とするエネルギー部門の本拠が米国に移転されるという。

 それによって大きな影響を受けるのは、ドイツ国内で発電用タービンを製造する工場だ。ドイツ南東部のゲルリッツにあるタービン工場は、受注量からすると健全な経営状態を誇っている。だが、工場の閉鎖がほぼ確定しているといわれる。工場で働く労働者はほとんど解雇されると見込みだ。

 労働組合や世論は、それはひどすぎると反発する声をあげた。それでようやく、ジーメンス社は工場を再生可能エネルギーに必要となる蓄電池の製造にリストラするなどの代替案をだしてきた。ただそれで、これまでの雇用が維持されるかどうかはまだわからない。

 発電用のタービンは不要になるので、タービン工場は必要なくなる。それは確かだ。でもそうだからといって、工場を閉鎖してそこで働く労働者をポイ捨てするのは、経営者として責任ある行為なのかはなはだ疑問だ。

 一方で、環境規制の強化など企業経営に都合が悪いことが起こると、雇用が維持できないと政治を脅し、規制緩和を求める。ここでは、労働者を脅す盾に使って、企業経営に都合がいいことを引き出そうとしているだけだ。

 金融危機の時もそうだった。国際金融システムにおいて重要な金融機関は、たくさん税品をつぎ込んで救済された。企業マネージメントの失敗を経済への影響や解雇を隠れ蓑にして、マネージメントミスの損害を納税者に押し付けた。こうして、金融機関は賭博ばかいの経営ミスの責任を逃れた。

 これらのことは、経済界では常道手段だ。

 ここでは、労働者である市民のことは考えられていない。市民は企業経営を続けていく上での道具としか考えられていない。だから、ポイ捨てにされたり、責任を逃れる盾に使われる。経済さえうまくいけば、市民は働いて賃金を得、消費する。それで、経済も循環するとしか考えられていない。

 本来、市民あっての経済、資本主義でなければならない。それが、企業と資本をあっての資本主義になってしまっている。企業と資本が一人歩きし、市民は支配されるだけの道具と化している。

 それでは、いずれ破綻する。

(2018年10月12日、まさお)

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