地道な市民

大型設備と巨大投資による集中型構造

 現在の発電で主流になっている発電方法は、火力発電にしろ、原子力発電にしろ、大型設備だ。発電拠点が大型設備に集中される。発電された電気は設備の立地場所ではほとんど消費されず、大都市など人口密集地で消費される。

 同時に、多量な電気があれば大量生産も可能だ。大規模製造工場が建設され、製品はそこから世界各地に大量に輸送される。

 そのために、容量の大きな高圧送電網を使って発電地から電気消費地に多量の電気が送電される。それ以外にも、大きな変電所も必要だ。大工場はたくさんの電気だけを必要とするわけではない。輸送に必要な道路や港など、大型のインフラが必要となる。

 大型設備を建設するには、巨大な投資が必要だ。大型設備の建設には、銀行が融資し、銀行は利子によって巨額の利益を得る。

 この大型設備と巨大投資の構造が、大企業と大銀行が経済を支配する資本主義構造を構築してきた。それによって、中小企業や個人が大企業と大銀行に従属する構造も生まれた。中小企業や個人は、自由に経済に参加する権利を奪われのだ。

 ただ、大型設備と巨大投資にはリスクが伴う。減価償却するまでに時間がかかり、それ以降でないと、大きな利益は生まれない。たとえば原子炉の場合、減価償却に30年近くかかる。それは、大企業にとって大きな負担だ。国が国策として大企業を補助し、資金面で支援する。たくさんの雇用が生まれるからという理由だ。

 大型設備では、一旦事故が起こると影響も大きい。福島第一原子力発電の大惨事を見ればわかるように、被害は想像を絶し、復旧にも時間がかかる。それは、2018年の北海道地震でも体験した。大型発電所が停止すると、送電網が不安定になり、広い地域で停電する可能性が大きい。ライフラインがすぐに不能となる。大型工場も稼働できず、長い間に渡って生産できなくなる。経済的な打撃が大きい。

 この最近の2つの出来事は、大きいことのもろさを明らかにしたといっていい。それに対して、設備が小さくなるとどうなるのだろうか。

 たとえば再生可能エネルギーでは発電設備が小さく、分散化される。投資負担が小さく、減価償却期間も短い。発電設備に事故が起こっても、周りに小さな発電設備がたくさんあるので、ライフラインが広い地域に渡って不能となることはない。設備が小さいだけ、影響も小さい。経済に与える打撃も小さい。それだけ、何かあっても柔軟に対応できるということだ。

 小さな生産工場についても、同じことがいえる。

 大型設備には、投資リスクもある。設備が大きすぎると、過剰投資になる心配がある。それに対して、小型設備は小さなコンポーネントによるモジュール化が可能だ。設備が小さすぎれば、モジュールを増やせばいい。設置も簡単なので、投資リスクは小さく、投資も早く回収しやすい。

 大型設備は資金力がないと、実現できない。そのため、投資するステークホルダーはお金のある者に制限される。それに対して小型設備は、再生可能エネルギー発電設備を見えればわかるように、個人でも投資できる。中小企業や市民、公的機関などたくさんのステークホルダーが参加しやすい。一人一人が小額の投資しかできなくても、たくさんの人が共同で投資する可能性も生まれる。短期間にたくさんの小型設備が生まれ、全体としてみれば、巨額の投資となる。

 しかし小型設備では、大企業と大銀行にとって投資規模が小さすぎ、投資するだけの魅力がない。だから、大型設備が優先される。それが、資本主義の根本的な問題だ。

(2018年9月13日、まさお)

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