第1章冒頭文

 日常の生活において、ぼくたちは毎日、電気製品を使い、車や電車で移動している。そのために、電気が必要なこと、ガソリンなどの燃料が必要なことくらいは知っている。

 でも、電気がどう発電されているのか。ガソリンなどの化石燃料がどう採掘されているのか。あるいは、電気やガソリンを永遠に使っていくことができるのか。

 日常、そんなことを考えることはない。

 電気や燃料は、あって当然のことだと思っている。しかし、なぜ当然なのか。本当に当然のことなのだろうか。それとも、単に上から与えられてきたから、当然だと思ってきたのではないだろうか。

 まずは、そこから考えてみよう。それによって、現在のエネルギー供給システムの抱える問題を認識することになると思う。

 そこにあるのは、制度だ。制度は基本的に、法規によって規定されている。それが、法治国家ということだ。

 法の下では、みんな平等でなければならない。でも、本当にそうだろうか。

 制度は、エネルギーを平等に得て、平等に使うのを規定しているわけではない。エネルギーを提供する方法を決め、提供する側の権利を守っている。

 産業革命後、ぼくたちは化石燃料やウランなどを使って発電したり、自動車や電車、飛行機などを動かしてきた。また、ものをつくってきた。その結果、大気汚染が発生した。

 大気汚染が規制されるのは、問題が発生してからだ。市民の健康を大気汚染から守るために、十分に規制されてきただろうか。規制が厳しくなると、生産拠点が規制の厳しくないところに移転されるので、規制を制限してこなかっただろうか。

 でも、ぼくたちはこうして化石燃料を使ってものをつくって輸送し、豊かになってきた。

 発生した大気汚染は本来、その原因を引き起こた者に責任がある。でもぼくたちが大気汚染によって病気になっても、問題を引き起こした者はそれに対して責任を負わない。健康保険で病気を治すしかしかない。その負担は外部コストとして取り扱われ、社会が責任を追っている。

 これは、制度がそうなっているからだ。

 制度は主に、化石燃料などのエネルギー源を使って利益を上げる仕組みを守るために造られている。その既得権益を得ているのは、いつも同じ企業と人間だ。制度は本来、みんなを平等に扱い、自由競争を守る基盤となるものであるはずだ。でも、制度が既得権益を守るだけのものであるなら、そこには自由も平等もない。

 これが、資本主義の基本構造だ。こうして、利益が一部の人たちだけに流れ、貧富の差ができてしまった。これは、資本主義の悪い面である。

 この状態が続くと、経済と社会は停滞していくだろう。この制度の下でいくら対策を講じても、既得権益を守るという基本構造から抜け出すことはできない。既得権益者が瀕死の重病人であっても、人工的に延命させているにすぎない。

 これは、われわれ人間の遺伝子や思考回路に問題があるからではない。ぼくたちが産業革命後、長い間に渡ってこうした制度を造ってきたからにすぎない。

 だから、当然だと思っているのは、本当に当然だということではなく、制度があるからでしかない。問題は、その制度の中にある。だから、その問題を破壊しなければならない。

 そのためにはまず、問題を認識することからはじめる必要がある。

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