市民が4億円集める

 市民たちは、地元で配電する権利を得た。その権利を行使するためには、配電会社から配電網を買い取る資金が必要だった。再生可能エネルギーに関心のある企業家などから、資金を提供するとのオファーがあった。でもミヒァエルさんたちは、まず社会的なプロジェクトを専門とするGLS銀行に支援を要請した。

 GLS銀行は1993年末、ミヒァエルさんら市民グループが自己資本を確保できるように、特別のファンドを売りはじめる。一種のベンチャーキャピタルのようなものだ。わずか4カ月で、240万マルク(現在のレートで約1億5000万円相当)の資金が集まった。さらにドイツ全国から、650人の市民が配電網買取り会社に直接資本を提供すると申し出てきた。それは、総額で170万マルク(約1億円に相当)になった。

 ミヒァエルさんらは、それだけあれば配電網を買い取ることができると思った。

 しかし配電会社は1994年10月、配電網の売却額は870万マルク(約5億200万円相当)だと主張してきた。ミヒァエルさんらが見積もっていた倍以上の額だ。

 市民にとって、とてつもない高額だった。だがまず支払うだけ支払って、実際の買取り額については後で裁判で争うことにした。そのほうが、配電網を早く買い取ることができる。

 しかし、どうしてそれだけ莫大な資金を集めればいいのか。

 買取り額が高すぎると、企業として採算性がなくなる。集めた400万マルク(2億5000万円相当)を自己資本とした。残りは、カンパを募る以外にない。原発反対派は、ドイツ全国で100万人くらいいるだろう。一人当たり5マルク(300円相当)カンパすれば、何とかなる額だ。口でいうには、簡単に見える。問題は、どうやって集めるかだ。

 GLS銀行の広報担当者が、ドイツの広告代理店50社にカンパのキャンペーンを引き受けてくれないか問い合わせてみようと提案した。ただし、市民グループはキャンペーンに一切お金を出さない、電力業界との取引がないことを条件にしようという。ウルズラさんは、一体誰がそんな条件でキャンペーンを引き受けてくれるのかと思った。ところが、何と15社が申し出てきた。

 その中から、フランクフルトの広告代理店を選出した。社内では、電力業界に対抗する市民運動を支援して、将来顧客が離れていかないかなど反対意見も出たという。それでも、市民支持派が多数を占めた。コピーライターなど3人が、担当することになった。

 そして、最終的に提案されたコピーは「Ich bin ein Störfall」だった。日本語にすると、「ぼく(わたし)は、(原発)事故のようなもの」とでも訳せるだろうか。

 市民グループの評価は、今ひとつだった。ミヒァエルさんは、もっとポジティブで、インパクトのあるものを期待していた。グループ内で投票した結果、このちょっと奇抜なコピーが選ばれた。

 1996年9月10日、赤ちゃんとサラリーマン、若い女性、老人をモティーフにし、その上に黄色の下地に黒でコピーの書かれたポスターがドイツ全国にはり出された。コピーの入ったTシャツもつくった。

 キャンペーンは、すぐにメディアの注目を集めた。新聞と雑誌がきそって取り上げた。グリンピースやBUND、WWF、NABUなどドイツの主な環境団体も、カンパしようとアピールした。

 キャンペーンは、大成功だった。

 こどもたちでさえ、お小遣いからたくさんカンパしてきた。あるフランスの女性は、ポンと5万マルク(300万円相当)を寄付した。でも目標額に達するには、大きな額を提供してくれるスポンサーが必要だった。ミヒァエルさんはカンパをお願いするため、ドイツのある大手チェコレートメーカの社長を訪ねた。社長とは、はじめてだった。しかし社長はいきなり、「いくら必要か」と聞いてきた。聞かれたミヒァエルさんのほうが戸惑った。ミヒァエルさんは、20万マルク(1200万円相当)必要だといった。すると、社長はすぐにわかったといったという。

 キャンペーンは、予想以上に順調に進んだ。最初の6週間だけで、100万マルク(約6000万円相当)も集まった。最終的には、200万マルク(1億2000万円相当)近くになった。

 資金繰りは、もう大丈夫だ。問題は、集まった資金をどういう形で設立した電力会社EWSシェーナウに提供するかだった。公益を目的とする財団では、企業にお金を渡すことができない。いろいろ調べた結果、自治体の財団であればそれが可能だとわかった。そのため町がまずシェーナウ環境財団を設置して、配電網を購入する資金の一部を提供することになった。

 その間、配電会社の主張する配電網の買取り額が、揺らぎはじめた。配電会社の見積りに間違いがあり、市民グループの評価のほうが正当であることがわかってきたのだ。配電会社は1996年10月、最初の870万マルク(約5億2000万円相当)から650万マルク(3億9000万円相当)に値引きしてきた。

 市民グループは弁護士を立てて交渉を続け、最終的に配電会社は1997年3月、570万マルク(3億4000万円相当)を「和平額」として提示してきた。ミヒァエルさんらは、それでも不当に高いと思った。でも、配電網の買取りのほうが先決問題だ。買取り額については、後で裁判で争えばいいという方針を貫いた

(2018年7月30日、まさお)

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