2度の住民投票で得た市民の権利

 市民たちは、驚かなかった。予想通りの結果だった。

 町議会の開かれる前の晩、市民たちはミヒァエルさんの自宅に集まっていた。町議会の決議を覆すため、前もって住民投票に持ち込むための算段をしていたのだった。そのためには、まず有権者の10%の署名を集めなければならなかった。市民たちはもう翌日から、署名を集めはじめていた。1カ月も経たないうちに、倍以上の署名を集めていた。

 住民投票が、3カ月後の10月27日に行われることになった。

 緑の党が支援を申し出てきた。だが、ミヒァエルさんらは断った。市民が地元で、エネルギーシステムを変えようとしている。その活動に、政党色を持ち込みたくなかった。

 もう一つの問題は、地元の住民か、よそ者かという問題だ。地元社会では、最低三世代が地元に定住していなければ、シェーナウの人間だとは認められない。シェーナウの近隣地域から活動に参加している住民も、住民からはよそ者だと見られた。活動の中心だったウルズラさんとミヒァエルさんは、地元住民にとって「よそ者」だった。家族は、1977年からシェーナウで生活しているにすぎない。

 地元住民が配電網を買い取ろうとしているのだ。それをアピールしなければ、地元住民に説得力がない。「地元住民」が、活動の表に立つことにした。

 住民投票は、選挙戦以上に激しい戦いだった。開票の結果、投票者の56%が町議会の決議を無効とした。投票率は、70%を超えた。

 しかし、その結果に甘んじているわけにはいかない。住民投票は、町議会の決議を覆しただけだった。町は、配電網のある公共道路と土地の使用料を引き上げるのと引き換えに、その使用契約を事前に二〇年延長してほしという配電会社のオファーを受け入れない。市民グループはこれで、配電会社に対抗して配電網を買い取るために応札できる権利を得たにするぎなかった。

 市民グループが配電網を買い取るには、電力会社しての電気供給の構想をつくり、電力会社として許可されなければならない。しかしそれは、素人の市民だけでは無理だ。ミヒァエルさんらは市民に近い専門家を探して、協力を求めた。

 1994年1月、電力会社EWSシェーナウが誕生した。

 その後、町長選で町長が交代、町議会も市民寄りの勢力が議席を伸ばしていた。1995年11月20日、町議会はEWSシェーナウに配電事業を委託することを決議した。

 しかし今度は、市民による配電事業に反対する保守政党が町議会の決議を無効にするため、住民投票に出た。反対派は、配電会社から資金援助を得て有利に運動を展開。それに対し、市民グループには資金がない。脚を使って町内の住民一人一人を訪ね、市民グループへの支援を説得した。

 1996年3月10日。運命の日がきた。ミヒァエルさんは、不安で緊張していた。血糖値も高かったに違いない。よく喉が渇いた。一日が、非常に長く感じられた。結果は、782票対711票だった。市民グループは、シェーナウで配電する権利を得た。

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