考える授業(4)

 「考える授業」の最終回は、12年生の美術の授業です。

 新学期最初の授業ということもあり、前学期に生徒が制作した作品をプレゼンテーションするのが授業の目的でした。ローゲマン先生が教室の壁に黒の幕をはるなどして、事前に準備してありました。

 前学期の課題は、こうでした。

 グループで過去の巨匠の作品を1作選び、巨匠の作品と対話しながら、そこから自分の感じたこと、考えたこと、分析したことをイメージします。それを段階を追いながら一つ一つスケッチして、それを自分たちの作品にしていきます。

 まずローゲマン先生が、グループで代表を選んでどういう風にプレゼンテーションするか、話し合うようにいいました。先生は、自分たちが作品と対話して、イメージしたプロセスがわかるようにプレゼンテーションしてほしいと注文します。

 少し経って、プレゼンテーションがはじまります。作品を展示して見やすくなるように、まずスペースの広い廊下に出ました。

 最初にプレゼンテーションしたのは、男子生徒でした。ゴッホの作品をいくつかの構成要素に分けて、光の使い方を分析しました。そして、その光を変えると、作品がどう変わるのかを試してみました。

 作品の構成要素がどう分けるかも難しい問題です。光の使い方からうまく構成要素が分解され、それぞれが広い紙で切り抜かれています。

 広い紙が一枚、ゴッホの作品に載っかるだけで、作品のイメージがガラッと変わりました。見事に分析したとしかいえません。

 その他、作品の中にあるモチーフをメランコリックに変えたらどうなるのか、作品にこどもの遊び場を付け加えたらどうなるかなど、おもしろいアイディアがたくさんありました。

 前半が終わって休憩に入ると、福島県の高校生から「信じられない」という声が出ました。日本の美術の授業では、絵はこういうものだと教えられるだけです。その通りに描かないと絵ではないといわれるので、先生のいう通りに描くしないのが日本の美術の授業だといいます。

 授業が終わった後、ローゲマン先生に生徒の作品はどうでしたかと聞いてみました。先生は、「とても満足している」といいます。巨匠の作品の歴史的背景を把握していない生徒がいたのも確かです。でもそれは、そこから作品がその時代の歴史と深い関係にあることを学んでくれればいいのです。

 先生は欲をいうと、「もっと抽象的なイメージを持ってくれることを期待していた」といいました。でも、抽象画までイメージしたグループが一つありました。先生は、1グループでは満足しなかったようです。

 ぼくが感心したのは、高校生たちがたくさんのスケッチや作品を仕上げていたことです。先生に「自宅でも描いていたのでしょうか」と聞いたところ、ほとんどが授業中に描いてできたものだということでした。それだけも、びっくりしました。

 授業体験は、2日間だけと短いものでした。でも、ドイツで授業体験した福島県の高校生からは、「(日本のような)暗記教育はもうダメだ。日本の教育は変わらないといけない」という感想が多く聞かれました。

 日本の教育では、数学や物理など自然科学においても公式を覚えるなど暗記が中心になっています。暗記によって、知識は増えるかもしれません。でも基本的な考え方が教えられていないので、応用ができません。

 それによって、若い人材は一つの枠組みにはめられ、画一化してしまいます。新しいアイディや創造力も生まれません。

 今科学の進歩が早いだけに、暗記したものはすぐに古くなって使いものになりません。それでは人材が使い捨てにされるか、また新しいものを覚え込まされるだけです。でも、それではいずれ疲れ、長続きしません。
 
 考える力があれば、自分で考えて応用できます。でも、それを身につけさせない日本の教育。福島県の高校生たちが、日本の教育の根本的な問題に気づいてくれただけでも、ドイツで授業体験した価値があったと思います。

(2018年9月21日、まさお)

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