デジタルデータにも相続権

 ドイツの通常裁判権の最高裁判所(*)は7月12日、電子メールやソーシャルメディアのアカウントなどに残されたデジタルデータに対して、ユーザーの死後、その相続人にデジタルデータのアクセス権を認める判決をいい渡しました。

 その根拠として、電子メールやソーシャルメディアなどに残されたデジタルデータは、手紙や日記などのアナログデータと同等であるとしました。アナログデータには相続権が認められているのだから、デジタルデータにも相続権、つまりそのアカウントへのアクセス権があって当然だということです。

 これは、6年前にベルリンの地下鉄事故で死亡した15歳の女子の両親が自殺だったのかどうかをはっきり知るため、娘のフェイスブックのアカウントにアクセスしたいと申し入れましたが、拒否されたため、訴えていたものです。

 フェイスブックは、死亡したらアカウントを削除してほしいと事前に伝えてあれば、アカウントを自動的に削除してデジタルデータを消去します。それ以外は、ユーザーの死後に追悼モードとなり、友だちは投稿して友だち同士でコミュニケーションできます。しかし、故人のアカウントには誰もアクセスできず、フェイスブック上で公開されているデータしか見ることができません。

 フェイスブックは拒否の理由として、女子の親にアカウントへのアクセスを認めると、故人以外の第三者の記載データが女子の親に知られてしまうからとしていました。

 裁判では、一審で死亡した女子の両親のいい分が認められ、二審ではフェイスブックのいい分が通りました。しかし裁判所は、最終的には最高裁がこの問題で原則的な判決をいい渡すべきだとの立場をとりました。

 今回最高裁は、フェイスブックのユーザー利用契約はそのまま相続人に委譲されるとしました。ユーザーは、生前中アカウントが第三者によって悪用される危険があることをわかっているはずだし、死後にはアカウントが相続されることも予想しておかなければならないとしました。

 ぼくは、代理人として亡くなった友人の後始末をしたことがあります。友人は高齢だったこともあり、それほどネットを利用していませんでした。しかし、オンラインショッピングやメールのアカウントを消去するため、パソコンにアクセスすることをはじめとして、ユーザー名とパスワードを探すのにたいへん苦労しました。

 ぼくが何もしなかったら、ユーザーが亡くなっても、デジタルデータは残り続け、悪用される心配があります。これだけデジタル化が進んできたにもかかわらず何もルールがなく、いろいろなことが全く規制されていないことをつくづく感じました。

 日本から発信されているホームページやブログを見ても、責任者や管理者のデータがないのが目立ちます。それを規制することは、ネット上でのヘートスピーチ対策にもなると思います。しかし、日本では何も策が講じられていません。

 デジタルデータをアナログデータと同じだとした今回の判決は、当然のことだと思います。クラウドコンピューティングも進んできただけに、とても意義のある、今後の基盤となる判決です。ただデジタル社会には、まだ共通のルールがないのも事実です。この問題には、早く政治が対応しなければなりません。

 それは、経済的にもとても大切です。ネット上であげた利益はどこで課税するのがいいのでしょうか。Uberなどプラットフォームビジネスにおいても、雇用関係を明確にしないと、労働者はプラットフォームビジネスの奴隷になりかねません。

 亡くなった友人の後始末をして思ったのは、いずれ死ぬことを考え、その時のためにパスワードの管理などをしっかりしておかなければならないということです。ぼくはそれを機に、ネットからアクセスされないような形でユーザ名とパスワードのリストをつくりました。

 このサイトについても、ぼくが更新できなくなったら生前中に自分で消去してしまうのか、あるいは、ぼくの死後どうすべきなのか、それを遺言書のような形で書き残しておくのか、いずれ考えないといけないのだと思います。

(2018年7月15日、まさお)

(*) ドイツには、通常、行政、財政、労働、社会の5つの分野にわかれて、最高裁判所がある。

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