ドイツの学生運動から50年
今年は、ドイツの学生運動が1968年に激化して50年になる年です。当時の具体的な動きはここでは省略することにしますが、学生運動のきっかけになった背景としては、主に以下の3つを挙げることができると思います。
・ベトナム戦争
・社会に生き残るナチ残党
・戦後資本主義の成長と社会への浸透
これらに反発する学生左派グループが、戦後はじめて抗議デモをはじめました。学生が市民の一員として、はじめて⎡ノー⎦ということを学んだわけです。
この68年の学生運動が、ドイツの環境運動、緑の党の発端だったというのはよくいわれることです。実際、当時学生運動家だったヨシュカ・フィッシャーさん(緑の党)はドイツ外相にまでなりました。
当時の学生運動は実際にはごく少数派で、保守派市民や労働組合が学生運動に反対して大きなデモまで起こしています。
今から振り返ると、この68年の学生運動が当時活動していた若者たちが思っていた以上に、ドイツ社会に変化をもたらす大きなインパクトになったのは間違いありません。現在のドイツ社会がオープンで、差別を嫌い、多様な面を持っているのは、68年の学生運動なくしては考えられないと思います。
もちろん、68年の学生運動がドイツ赤軍派を生むきっかけになるなど、暴力性も持っていたのは否定することはできません。それによって、ドイツ経済界の要人が暗殺されました。
でもどうして、ドイツの68年の学生運動が神話化されるほど、社会にポジティプな影響をもたらしたのでしょうか。その後の経済成長がその大きな要因だったともいわれます。
でも、それだけでは説明になりません。
同じ戦争加害国の日本でも、60年の安保闘争、68年から70年の大学紛争を体験しています。それを機に日本赤軍も生まれています。学生運動は、ドイツと同じように高校にも広がり、教育改革も求めたのではなかったでしょうか。
日本の運動でドイツと大きく違うのは、内ゲバだと思います。ドイツでは、内部闘争で殺し合いはほとんど起こっていません。
それなのにドイツと違って、日本ではどうして学生運動が社会を変える大きなインパクトにはならなかったのでしょうか。
日本でも、70年代に入って経済が大きく成長しています。
それなのにどうしてなのか。
ドイツと日本で、この問題についてじっくり比較してみるべきだと思います。
(2018年6月22日、まさお)
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