右翼系出版社の台頭

 日本では、新しい歴史教科書をつくる会ができて20年余りになります。新聞や雑誌では、ネトウヨレベルの記事が氾濫している産経新聞を筆頭に、フジサンケイグループ系の出版社や雑誌が右翼系に属すると思います。

 ドイツでは、新聞や雑誌に保守系といわれるものがあります。でも、右翼系とまでいえるものはまだ小規模ではないかと思います。ただ小規模とはいえ、ここ数年前から社会が右傾化するにつれて、本を出版する右翼系版元の活動が活発になってきました。

 ドイツでは出版社にとって、フランクフルトとライプツィヒで開催される本の見本市が自社本をプレゼンテーションする上でとても大切なイベントになっています。ドイツでは現在、その時に右翼系出版社の出展にどう対処すべきかが大きな問題になっています。

 本の見本市開催中には、右翼系出版社の出展に抗議する反対デモなども起こっています。でも表現の自由が保証されている以上、出展を禁止するわけにはいきません。

 ドイツの刑法第130条は、国家主義、人種、宗教上の理由から人の尊厳を傷つける行為を国民扇動罪として禁止しています。ドイツでは、ヘートスピーチは犯罪行為なのです。ですから本など出版物において、ヘートスピーチな表現によって人の尊厳を侵害するのは、犯罪になります。

 そのためライプツィヒ見本市運営会社は、本の見本市の開催に際してその辺のところは十分に監視しているといいます。でも、それには限界があるもの事実です。

 日本ではヘートスピーチを規制する問題について、表現の自由があるから限界があるようなことをよく聞きます。憲法で表現の自由が保障されているからです。

 でもドイツから見ると、この表現の自由が重く見られ過ぎてはいないでしょうか。

 ここでは、人の尊厳と表現の自由のどちらに重みがあるのか、が問題になると思います。

 ドイツの憲法に相当する基本法はその第1条第1項で、「人の尊厳は侵すことができない」とはっきり規定しています。憲法の一番最初に、この条文がきます。つまり、これがドイツの憲法の大前提だということです。

 だから、表現の自由を保証する前に、人の尊厳を守らないといけないということです。これは、とても重いと思います。

 そしてドイツの憲法はその第3条第1項で、「すべての人は、法の下では平等である」としています。さらにその第3項に、「何人も、性別、血筋、人種、言語、門地、信条、宗教観、政治観から差別されてはならない。何人も、その障害から差別されてはならない」とあります。

 ここで、「すべての人」や「何人」が主語になっていることにも、たいへん重みがあります。

 日本の憲法では、どうなっているでしょうか。

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由・・・
第十三条 すべての国民は、個人として尊重される。
第十四条 すべて国民は、法の下で平等・・・

などとなっています。

 日本の憲法では、主語が「日本国民」や「国民」、「すべての国民」だとされています。つまり、日本国民の基本的人権は尊重しましょうということです。それに対してドイツの憲法では、基本的人権は、すべての人の基本的人権が対象になるのです。

 ここに、日本とドイツの憲法の根本的な違いがあります。

 ぼくは、日本の憲法もすばらしいし、守っていくべきだと思っています。でも日本の憲法において、主語が「国民」となっていることをとても問題だと思っています。

 でも人の尊厳は、誰であろうと侵害してはならないのではないでしょうか。それが、大前提だと思います。

(2018年4月07日、まさお)

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