男女平等か、均等か

 日本で、選挙において候補者数をできるだけ「均等」にするよう政党に求める「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が成立しました。国政選挙や地方選挙で、各党の候補者が男女で「均等」になるようにして、女性議員を増やすことを目指すのだといいます。

 女性議員数が余りに少ない日本だけに、ようやくかという気もしないではないですが、なぜまた「均等」というあいまいなことばが使われるのでしょうか。

 選挙では男女の候補者を同数にしましょうとか、政治においても男女平等を促進しましょうなどといったほうが、もっとはっきりします。でも、それがまだできないところに、日本はまだ男性中心の社会なのだなと感じさせられます。

 法律は理念法で、罰則はないというのだから、努力目標にすぎません。目標を達成できなかったらごめんなさいで、済んでしまうということなのだそうです。法的拘束力もないに等しい何とも変な法律です。

 ドイツでは、企業の重役や取締役に閉める女性の割合を法的に規定する(クオーター制)、しないで長年議論されていますが、保守系政党がそれを頑なに阻止しています。

 今の内閣では、連立協定で各党の大臣を男女同数にしましょうという申し合わせがありました。しかし、バイエルン州だけの右派政党、キリスト教社会同盟(CSU)は何も弁明せずに、男性だけを大臣に指命してきました。3人だけと少数ですが。そして女性を大臣にするため、首相府に勝手に新しい国務大臣をつくり、若手女性を大臣にしました。それで、いかにも男女平等を推進しているかのようにアピールしました。

 こんなドイツの政界ですが、ドイツには女性で活躍している政治家がいろいろいます。

 メルケル首相はもちろんのこと、フォンデアライエン国防相には子どもが7人います。メクレンブルク・フォアポムメルン州のシュヴェージヒ州首相は、その前に連邦家庭大臣を務めていましたが、その時にしっかり産休をとっています。ラインラント・プファルツ州のドライアー州首相は難病の多発生硬化症(MS)を患っており、必要な場合は車いすを使って職務を全うしています。その他にも、たくさんの女性政治家を挙げることができます。

 ドイツで活躍する女性たちを見て思うのは、男女平等といっても、女性が男性のようにがむしゃらに働いて『男』になってしまっては、いくら女性の数が増えても男女平等にはならないということです。

 女性が女性として活躍でき、たとえ出産で休むことになっても、それが不利益になってはなりません。女性が女性として働き、それで男性と同様にキャリアを積んでいける社会にするための、意識改革が必要です。

 日本でいくら男女雇用機会均等法ができても、その意識改革ができない限り、女性が男性と平等になろうとすると、女性は男性のようにがむしゃらに働くしかありません。

 現実は、そうなっているのではないでしょうか。

 女性政治家が産休で休むと、税金を使っていていかがなものかといわれるようでは平等ではありません。男性が産休をとることも、普通にならなければなりません。

 日本の女性政治家を見ても、個人名を挙げませんが、これは男性と同じだと思う政治家が結構います。それでは、女性が平等に活躍しているとはいえません。男性ではなく、女性だけしかもっていない能力が評価され、その能力を当たり前に発揮できる社会ができないと、これからの日本社会は取り残されて停滞し、衰退します。

 候補者男女均等法が少しでも、その意識改革に役立てばと願ってやみません。

 男女平等についてどう思うかは、個人個人の捉え方がとても大切です。昨今のセクハラ問題でもその意識の低さを露呈させてしまった日本です。でもそれに悲観することなく、これを機に一人一人が生活の場において男女平等に関する問題を注視し、少しでも意識改革につなげていきたいものです。

(2018年5月27日、まさお)

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