自由に考える社会

 ベルリン@対話工房では「在外日本人珍語集」として、ドイツで長く暮らす日本人たちの変な日本語について紹介しています。そこでは、単に珍語で笑ってもらおうとしているわけではありません。たとえ日本語が乱れて正しくなくても、コンテキストから意味が通じてしまうことを示したいからです。

 このブログではさらに、ことばのこと、既存の考えや論理に拘っています。それは、ぼくたちの思考回路がことばとそれによって形成される枠組みに制限されていることを知ってもらいたいからです。

 珍語集では、その場のコンテキストがその枠組みです。その枠組みからすると、つい口から出た珍語はその場には適しません。想定していなかったことばが口から出てしまいました。でもコンテキストがあるから意味がわかり、コンテクストと珍語にギャップがあるから笑えます。

 ただことばはその枠組みから、逆にプレッシャーをかけてくることもあります。たとえば、「絆」がそうです。ぼくは、このことばは市民同士の美しい助け合いだと思います。それが自主的で楽しいものであればいいのですが、人と人との絆があるからがんばろうとなると、がんばるしかないと義務化されてしまいます。

 そうなると、絆はむしろ負担になります。それは、絆とはこうあるべきだということばの枠組みと慣習の論理があるからです。その論理にしたがうと、論理で決められた枠内でしか考えませんし、行動もしません。それは、プレッシャーになります。

 しかし、その論理(枠組み)を破ることもできるはずです。

 ドイツにいると、日本語や日本の生活習慣の論理(枠組み)に縛られているなあと感じることがよくあります。ぼくは、そうした事例をこれまでこのブログで挙げてきました。ぼくたちの生活や考え方が、いかにこの枠組みに束縛されているか。それを知ってもらいたいからです。

 ぼくは、社会を持続、発展させていくには思考回路の働く枠組みを破っていく必要があると思います。いつも固定した枠組みだけで考えていると、社会は保守的になって硬直し、停滞します。

 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターという経済学者がいます。シュンペーターは、100年ほど前に経済発展にはイノベーションが必要だといいました。ここで彼は、イノベーションのことを「創造的破壊」と考えました。経済を発展させるには、既存の考えや論理、技術を破壊して新しくしていかなければならないということです。経済には新陳代謝が必要だともいえると思います。同じことが、経済ばかりでなく、社会や文化、個人にもいえると思います。

 現代社会は、早いテンポで変化しています。ぼくたちの持っている知識と習慣は、永遠にそのまま存続するわけではありません。ぼくたちの既存の枠組みは、いずれ反論されて、新しくなるためにあります。ぼくたちには社会の一員として、社会の枠組みを破壊して、どういう新しい枠組みで生きていきたいのか、それを共同で決めていく責任があります。そのためには、自分自身で考えて自分の枠組みを、さらに社会の枠組みを変えていかなければなりません。それは、市民による創造的な破壊だと思います。

 そのポテンシャルを生む基盤は、対話によって自由に考えることです。右傾化した全体主義社会のように、国家体制(もちろん、天皇制も含まれます)や社会の慣習、おきてなど既存の枠組みが自由に考えることよりも上に置かれてはなりません。自由に考える社会。そうなることが、グローバル化やテロ、経済危機など市民に不安をもたらすものに抵抗力のある社会を築く基盤でもあります。

 ぼくは、この記事の少し前の項で1940年代と同じようにこれから世界的な戦争が起こるのだろうかと疑問を投げかけました。それに対するぼくの今の答えは、まだ「わからない」です。

 世界の情勢を見ると、第二次世界大戦の起こった時代の前とよく似た状態になっていると思います。現在、経済システムは金融緩和によって支えられています。世界経済が保護主義的にもなってきています。その状況は、当時によく似ています。今後、各国が競って軍備を拡大することも予想されます。

 でも一旦そうなってしまうと、出口がありません。そこから出る手段は破壊しかありません。過去においては、それが戦争でした。壊滅的破壊です。

 でもぼくは、人類が過去の教訓からいろいろ学んできたことを信じます。社会を多様にすること、差別しなこと、お互いに対話して連携すること、さらに自分で考えて自分の意見をはっきり発信すること。これらが、民主主義と自由の基盤です。こうして、人類は現在の価値観を築いてきました。この価値観は、社会にイノベーションをもたらす創造的破壊の基盤であると思います。

 現代人が戦争にまで走らないようにするには、ぼくたち市民一人一人がその価値観の下に手をつないで、どんな体制であろうが(!)、戦争はもうごめんだと立ち上がるしかありません。その市民の輪に、一人でも多くの市民が加わってくれることを願います。平和な将来は、ぼくたち市民自身が築くしかありません。

 既存の枠組みに束縛されないで自由に考える。ぼくたちには今、それが求められています。

(2018年5月11日、まさお)

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