マイクロ平和とマイクロプロセス

 市民は、すべて平等です。人種や出身国、性別、性的指向、障害の有無によって差別されてはなりません。日本では、在日コリアンなどに対するヘートスピーチが大きな問題になっています。これは、差別です。

 現在、社会は格差社会、落ちこぼれ社会となってきました。その結果、市民は平等のチャンスを得ることができません。障害者や性的指向の異なる人も、依然として差別されています。

 こうした社会問題は、戦争には直接関係ないように見えます。でも、社会問題の根本にあるのは差別です。そして、戦争の根本にも差別があります。差別に直面した時、ぼくたちはどうするのか。

 それを自分で考え、市民同士が生活において連帯して何か活動するプロセス。ぼくは、それを「マイクロプロセス」と呼びたいと思います。

 岩波書店の月刊誌『世界』の2015年9月号で、ぼくは世界平和のような大きな平和を「マクロ平和」とするなら、自分の暮らしの中の小さな平和は「マイクロ平和」だと呼びました。その「マイクロ平和」を見つけるのも、マイクロプロセスの一つです。

 ぼくの生活するドイツでは今、難民問題がとても大きな社会問題になっています。社会が反イスラム化する中で、難民を自分の家に受け入れるなど難民を支援する市民も登場しています。日本では、東京電力福島第一原発の事故後、放射線防護や脱原発、再生可能エネルギーの普及に向けて市民レベルでいろいろな活動が立ち上がりました。

 これらはすべて、マイクロプロセスです。マイクロプロセスは市民の地道な取り組みなので、一つ一つは知られていません。でも、市民が暮らしの中で取り組むのは、社会にとってとてもインパクトがあると思います。その重要さが意識されてそれぞれの活動がネットワーク化されていけば、暮らしに密着した新しい社会が生まれる大きな原動力になると、ぼくは考えます。

(2018年2月02日、まさお)

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