日本とドイツの戦後70年

 ぼくは戦後70年の2015年、日本でドイツの戦後について話したいと思いました。特に、日本の若者たちと戦争と平和の問題について話をしたいというのがぼくの希望でした。拙書『小さな革命・東ドイツ市民の体験――統一のプロセスと戦後の二つの和解』(言叢社刊)で、ナチス・ドイツによって空爆、破壊された都市の生存者たちとの和解に取り組むドイツ・ドレスデンの空襲体験者たちのことについて書いていました。

 戦争犯罪国のドイツとその戦争被害国が、市民レベルで地道に平和を求めていくことの大切さ。それを日本で伝えたいと思いました。短い日本滞在中、五つの大学でドイツの戦後について話をすることができました(講演録はこちら)。

 ドイツは、ヨーロッパ大陸にあります。これまで何回も悲惨な戦争を続け、お互いに殺し合ってきました。その市民同士が現在、隣人として陸続きの社会で生活しています。この現実は、たいへん重いと思います。欧州連合には現在、隣国との間に国境がありません。市民が平和に生きていくには、隣人同士が過去の憎しみを乗り越えて、平和を維持していくしかありません。

戦争で破壊されたままとなっているドイツと
ポーランド国境沿いにある町キュストリンでは、
ぼくが取材に訪れた前にも6体の遺骸が
発掘されたばかりだった(写真真ん中)

 空襲体験者にとって、戦争体験の過去は依然として自分自身の生活と人生の一部です。それだからこそ、戦争はもう二度と繰り返したくない。それが、ドレスデンの空襲体験者がナチス・ドイツの被害者と和解しなければならないと思った原動力でした。空襲を体験した自分たちが和解しておかないで、一体誰が和解できるのか。ドレスデンの空襲体験者は、ぼくにそういいました。

 ドレスデンの空襲体験者たちが具体的にどういう活動をしているかについては、拙書を読んでいただくことにします。

 戦争犯罪国と被害国の間で市民同士が和解するとは、自分の暮らし、自分の人生において現在の平和のありがたさを認識することでもあります。世界平和など自分の力の行き届かない大きな平和について考えるのではなく、まず自分の暮らしの中で平和について考え、自分の今の生活が平和があるから成り立っていることを意識します。

 ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所では、解放記念日の1月27日を前にドイツ連邦議会が毎年、若者たちの国際交流を企画しています。ぼくは、その解放70年国際交流に参加する若者たちを同行取材しました。その時、意図的に加害国ドイツの若者と被害国ポーランドの若者に一緒に話を聞きました。若者2人は、ドイツとポーランドの今の友好関係がとても大切だ、それが今の平和の基盤になっているといいました。話が終わった後、ポーランドの若者が戦争を知らない若者に対して戦争加害国と被害国に分けるのはおかしいと、ぼくにいってきます。戦争を知らない若い世代では、これほど意識が変わってきているのです。

 広島と長崎の原爆記念日や日本の終戦記念日では、年1回大きなイベントが行なわれます。その時に、戦没者を追悼して平和への感謝の気持ちを抱くのもいいと思います。でもそれが、その日のことだけで終わってはなりません。

 現在、社会には世界大戦を体験していない世代のほうが多くなりました。戦争の悲惨さを語り継ぐことのできる戦争体験者は高齢化し、益々少なくなっています。アフガニスタンやシリアでは、もう何年も戦争が続いています。でも、戦争を体験していない同時代人たちは戦争の悲惨さ、平和のありがたさを忘れ、今平和であることに鈍感になってはいないでしょうか。

 こうした時代において、世界平和という「大きな平和」を考えるのではなく、まず自分の暮らしの中で平和とは何だろうか、自分の暮らしの中に平和はないだろうか。そうした「小さな平和」を探すことによって、暮らしにおいて平和がいかに価値のあることなのか、それを実感します。

 ぼくは今、そうした日常における小さなプロセスがとても大切だと思っています。

(2018年1月25日、まさお)

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