2018年5月08日更新 − HOME − 放射線防護 − 記事
福一原発事故から7年(2)
− 避難指示解除 − 
避難指示解除後の状況はどうなのか?

たとえば筆者は2017年6月、避難指示区域だった南相馬市小高区にある双葉屋旅館で宿泊しました。その時は避難指示解除後1年余り経っていましたが、事故前と比較して住民の20%も帰還していないということでした。


その南に位置する浪江町は、2017年4月に避難指示解除されたばかりでした。浪江町では事故前の住民数は2万1000人でしたが、筆者がいった時にはまだ360人余りしか帰還していませんでした。町中では、ほとんど住民を見かけません。


帰還した住民のほとんどは、老人ということです。


ただ、帰還した住民が必ずしも元々居住していた住民とは限りません。帰還者には、ボランティアなどとして現地で新しく住民登録したニューカマーも含まれます。そのため、その数字をそのまま帰還数だととってはいけません。


2015年9月に避難指示解除された楢葉町には、解除直後にいっていますが、町役場の横に仮設のスーパーや食堂が設置されていました。最低限住民が生活できるようにするため、まず避難指示解除前に仮設インフラを整備したということでした。


浪江町でも、食堂など仮設の生活インフラができていました。


避難指示解除されても、仕事がありません。楢葉町では小型自動車でモバイルカフェをはじめた女性がいましたが、このように自分で起業するなどしない限り、働いて暮らしていくことができません。


それも大きな問題です。


避難指示解除は、避難住民にどういう変化をもたらすのか?

避難指示解除によって、避難住民は自主避難していることになります。解除1年後には、それまで受給していた補償が打ち切られます。


福島県は、避難指示区域外から避難した自主避難者に対して仮設住宅を無償提供していました。しかし、それを2017年3月末で打ち切りました。さらに、避難指示区域から避難した避難住民に対する仮設住宅の無償提供も、2019年3月末で打ち切る予定です。


こうして、避難している住民に経済的な圧力をかけ、できるだけ早く、多くの住民を帰還させようとしています。


避難住民の住民登録は、避難後も元の住所のままとなっています。つまり、避難していても、居住している場所ではなく、元の自治体の住民だということです。しかし、これは避難指示解除後1年までで、それ以降は、帰還しないと、今住んでいるところで住民登録しなければならなくなります。


この問題は、特に学校に通うこどものいる家庭に大きなプレッシャーとなります。避難指示解除後1年経つと、住んでいる場所で住民登録しないと、こどもがこれまで通っていた学校にいけなくなるからです。これは、帰還するか、移住するか、早く決断しなさいと迫っているのとかわりません。


避難指示解除区域では、幼稚園や学校などこどもの教育施設がやたらピカピカに修復されているのが目立ちました。こどもへの被ばくの心配から、帰還を躊躇する若い家庭が多いなか、できるだけこどもたちを帰還させたいとする行政側の思惑が垣間見えます。


こうして帰還へのプレッシャーをかけることで、原発事故を風化させ、原発事故をなかったことにしたいのだと思います。


(2018年4月29日)


福一原発事故から7年
(1)避難指示区域 (2018年4月29日)
(3)食品の放射能汚染 (2018年4月30日)
(4)汚染地域での農作業 (2018年5月03日)
(5)汚染土壌の処分 (2018年5月08日)

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